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福岡地方裁判所 昭和48年(ワ)1244号 判決

原告

諫山久義

被告

國武英男

ほか一名

主文

1  被告らは原告に対し各自金一三八万五六二〇円及びこれに対する昭和四七年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用、参加により生じた訴訟費用はいずれもこれを二分し、その一は原告の、その余は被告ら及び補助参加人の各負担とする。

4  この判決は1項に限り、仮に執行することができる。

事実

一  原告は「被告らは原告に対し各自金四五九万八八三六円及びこれに対する昭和四七年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

1  原告は次の交通事故により頸椎捻挫、腰部捻挫の傷害を受けた。

事故発生の日時 昭和四七年一一月二九日午後八時五分頃

場所 福岡市博多区下臼井字苫尾一三四六先路上

事故の態様

被告英男は軽四輪乗用自動車(八福岡た六五五七)を運転し、比恵方面から二股瀬方面に向け時速五〇キロメートルで進行中、同方向に進行していた原告運転の普通乗用自動車(福岡五五に六一三)の後方を追従するにあたり、同車の動静に十分注視して、同車の急停止または方向転換に応じた措置をとるべき注意義務を怠り、たばこに火をつけようとしてその動静に十分注意しないで進行した過失により、折柄停止しようとして減速徐行していた同車に自車前部を衝突させた。

2  被告英男運転の自動車は被告ツルヱの所有である。被告両名は自己のため右自動車を運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基き損害賠償責任がある。

3  原告は医師であるため事故当日から昭和四八年四月頃まで自己の医院で治療した外、事故当日から昭和四八年一月一九日まで大城外科胃腸科病院において通院治療を受けた。その損害は次のとおりである。

(一)  治療費 一〇万五六二〇円

大城医院分 六万八七六〇円

自院分 三万六八六〇円

(二)  逸失利益 三八九万三二一六円

原告の治療期間は昭和四七年一一月二九日から昭和四八年三月三一日まで一二三日間で、実治療日数四四日である。ところで原告の年間所得は三二二九万六〇〇〇円であるが、少くとも右の四四日間は業務に支障を生じたことが明らかで、これを金銭的に評価すると逸失利益は次のようになる。

32,296,000円×44/365=3,893,216円

(三)  慰藉料 二〇万円

(四)  弁護士費用 四〇万円

4  よつて、原告は被告らに対し各自右合計金四五九万八八三六円と、事故の翌日である昭和四七年一一月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告英男は第一回口頭弁論期日において「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、なお請求原因に対する認否は次回に明らかにする旨述べたが、その後公示送達による呼出を受けながら口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。

三  被告ツルヱは公示送達による呼出を受けながら口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面も提出しない。

四  被告補助参加人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として次のとおり述べた。

1  請求原因1項の事実中、その日時場所において交通事故が発生したことは認めるが、その詳細は知らない。

2  同2項の事実中、被告英男運転の自動車が被告ツルヱの所有であることは認めるが、その余は不知。

3  同3項の事実はすべて知らない。特に、自院分の治療費、逸失利益、慰藉料についての主張を争う。

4  すなわち、原告の症状は診療活動に支障を来すほど重篤のものではない。仮に、何らかの支障を生じたにしても、原告のいわゆる医療所得中には、純然たる原告の医療活動によつて得られるものの他に、医業のために投資された多額の不動産、動産があり、これが共に働く医師、看護婦、事務員等と一体となつて有機的活動体たる医院を形造り、これによつて生み出される企業利益が含まれている。そして、右企業利益の部分は原告が事故のため医療活動に支障を来たしても、当然に減収となるものではないから、原告がその年間所得額を前提に逸失利益を主張するのは失当である。

五  〔証拠関係略〕

理由

一  〔証拠略〕によれば、請求原因1項の事実をそのとおり認めることができる。

二  〔証拠略〕によれば、被告英男が本件事故当時運転していた自動車は同人の妻である被告ツルヱの単独所有名義となつていたが、被告らは夫婦として共にこれを自己のために運行の用に供していたことが認められるので、被告らは自賠法三条により原告の蒙つた損害を賠償する責任がある。

三  〔証拠略〕によれば、原告は本件事故により頸椎捻挫腰部捻挫の傷害を受けたが、原告自身医師であるため、事故当日の昭和四七年一一月二九日から昭和四八年三月末頃までの間自己の経営する誠十字外科整形外科病院で治療した外、右事故当日から昭和四八年一月一九日までの間に一六回、大城外科胃腸科医院に通院して治療を受けたこと、その治療費として右大城医院に六万八七六〇円を支払い、また自院分は現実に治療費を支出はしていないが、三万六八六〇円に相当する治療を行つたことが認められるので、まず治療費として合計一〇万五六二〇円の損害を認めるべきである。

四  前示各証拠によれば、原告は右治療期間、右手先のしびれ、肩凝り、腰部痛などがあつて、特に手術その他診療が満足に行い得なかつたこと、もつとも自院には他に一名の医師がおり、原告も完全に診療を休むといつた事態にはなかつたため、医院の業務は継続されていたが、昼間は他の医師に負担が掛かりすぎて診療が十分できず、夜間は原告以外に宿直医師がいないところから入院を制限せざるを得ず、当時かなりの数の患者の減少をみたことが認められ、これによると原告が本件事故による受傷のため診療業務に十分従事できず、得べかりし利益を失い損害を蒙つたことは一応明らかといわねばならない。しかし右証拠からすれば、原告医院の総収入は事故前の昭和四六年度が約一億円、事故後の昭和四八年度が約一億四〇〇〇万円であるのに、その中間の事故の年である昭和四七年度は一億二~三〇〇〇万円程度というのであり、この数字から損害額を認定できないのは勿論、原告の申告所得額昭和四六年度分三二二九万六〇〇〇円、同四七年度分二二二六万九三四九円からも、前者が白色申告であり、後者が青色申告と申告の方法を異にしているので、にわかに損害額を確定することはできない。

ところで、原告は右申告所得額を基礎として原告の一日あたりの平均所得を計算し、これによつて逸失利益の損害額を算定すべきものと主張するが、原告の右所得が単に原告の医師としての医療活動によつて得られたものでなく、医業のために投資された多額の資産、これに医師、看護婦、事務員等が一体となつて形成された有機的活動体たる医院の運営によつて生み出される企業利益が含まれていることは、被告補助参加人主張のとおりであり、しかも本件は原告自身医療活動を休んだわけではなく、曲りなりにもいま一人の医師の協力によつて右医院の医療業務は維持されたのであるから、原告主張の計算はこの場合採用できない。

しかし、〔証拠略〕によると、当時他に医師を求めるとすれば月額三〇万ないし六〇万円程度の給与を支払わねばならず、また当時原告医院に勤務していた一名の医師には、同人が整形外科の方面ではかなり著名な医師であつた関係もあり、月額八〇万円の給与が支給されていたことが窺われるので、自ら病院を経営する原告の医療活動による収益もまず同じ程度とみて一ケ月八〇万円位はあつたものとするのが相当であろう。そこで、前示原告の受傷の程度、治療期間、それに原告の業務の特殊性等を考えると、大城医院に通院の当初の二ケ月について四〇%、その後の二ケ月について二〇%の業務の支障があつたとするのが相当であり、これらによつて計算すると、原告の逸失利益の損害額は九六万円となる。

五  すでに認定した本件事故の態様、原告の受傷の程度、治療期間その他諸般の事情を併せると、原告が本件事故により蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては、その主張どおり二〇万円をもつて相当と認める。

六  以上によれば、被告らは原告に対し合計一二六万五六二〇円の損害賠償義務があるが、被告らにおいてこれが任意弁済をなさないところから、原告は弁護士に委任して本訴提起を余儀なくされたことが弁論の全趣旨から窺われるので、本件事案の内容、審理の経過、認容額等を斟酌し、弁護士費用のうち一二万円を本件事故に基く損害と認める。

七  とすれば、原告の本訴請求中、被告らに対し各自金一三八万五六二〇円とこれに対する事故の翌日である昭和四七年一一月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、民訴法八九条、九二条、九三条、九四条、一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 権藤義臣)

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